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富弘美術館

2015/09/03 群馬県にある富弘美術館に行ってきました。

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エントランス。星野富弘さん直筆の富弘の文字が使用されています。

 

 この美術館は、「金沢21世紀美術館」に訪れた頃から行きたいと思っていたところで、群馬に住む友達と遊ぶ予定が出来たことを良いことに、一緒に行こうと誘ってみました。

誘ってみたのは良いですが、友達と合流する高崎からは105分・・・自分の家から行くと4時間もかかると知り、「初めて行く群馬だし、色々回りたいなー」と思っていましたが、完全に美術館オンリーになると確信しました。。

 

 電車の105分、友達と話していれば長さは感じず、わたらせ渓谷鐡道という山中を通るワンマン列車は、鉄道好きには人気も高いらしく乗っているだけでもとても楽しかったです。古い駅舎もたまりませんでした。

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美術館最寄りの神戸(ごうど)駅。ホームには駅弁が本物の電車の中で食べられるレストランがありました。楽しそう!

 

 神戸駅から路線バスで約10分で美術館に到着。往復切符を買えば往復500円で乗車出来ます。

 

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エントランス。雨が降りそうで降らない天気。私の旅によくありがちな天気。

 

 この美術館、美術館としては珍しい湾曲した壁で構成されています。

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平面図。白いエリアが来場者立ち入り可能エリアです。

 

 シャボン玉をイメージしたという正方形の建物は、円形状の大きさの異なる33部屋が集まった廊下や柱のない変わった造りをしています。

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(添付:aat+makoto yokomizo architects,Inc. – 富弘美術館

添付画像はプロポーザルを勝ち取り設計を担当したヨコミゾマコトさんの事務所が撮影したもので、このように円を連ねてとぐろを巻くように集結させ、それを四角い外形で納めたのが平面図の成り立ちです。

 

 これが、先に述べた金沢21世紀美術館を訪れた頃から行きたかった理由で、それは「丸で四角を囲む建築、四角で丸を囲む建築」という相違点に興味を持ったからでした。

 ご存知ない方はこちらをお読みいただけるとお分かりになれるかと思います。

jyankshon.hatenablog.com

最近興味深く感じている建築の思想として「形態は機能に従う」というものがあって、『美術館』という同じ機能であるのに、真逆とも言える形態をとる建築に、どのような体感の違いがあるのか感じてみたかったのが訪れた最大の理由です。

 

 この展示室の特徴は、曲壁であること、廊下がないこと、1つ1つの空間が比較的小さいことが挙げられます。

 

 1つ目の曲壁であることは、美術館では通常困難と言われていて、その理由は展示物の後ろに隙間が空いたり、うまく展示出来ないからです。ですが、富弘さんの作品の場合、小さいサイズのためあまりその心配はなく展示が可能になります。

また角のない展示室は作品から目を離すことなく一回りすることが出来るので、作品と対話しやすい環境が作られている様に感じました。

 

 2つ目の廊下がないこと。廊下がないということは展示室が壁同士で繋がっているので、順路が分からなくなるということです。これはこの美術館の短所の様な気がしましたが、 その代わり、いくつかの順路を生み出すことが出来たり、型にはまることなく観たいように観て、歩きたいように歩く、そんな空間を楽しむことができるようになっていると感じました。

美術館側も迷うことが考えられるとしながら、富弘さんの言葉を借り「絵を描くことだって、知らない道を迷いながら歩くようなもの。壁にぶつかり、どうしてよいか分からなくなったり。けれど、そんあふうに迷いながら描いた絵のほうが私は好きだ」と紹介していました。

 

 3つ目の1つ1つの空間について。この美術館の面白いところは各展示室、それぞれ壁の色、質感を変えているところです。まとまりのある展示物の雰囲気に合わせて、その内装は決められているようで、建築が作品を包み込む存在となり、相乗効果を上げているように感じました。

主展示室と小展示室合わせて6室ありますが、何度か違う空間に入ることで気持ちが自然と作品に入り込みやすくなるのは、故意的に工夫された壁の効果が高いと考えます。

 

 その他の部屋の紹介も少し。部屋の様子を分かっていただきたいですが、撮影が禁止だったので、言葉だけでも記憶として。。

 

空のへや。ガラスと鏡張りのこの部屋は外の明るさをいっぱいに取り込み、丸と丸の隙間に植えられた草花が生き生きとしているように感じられます。

 

海のへや。ビーズが埋め込まれた壁と床は他の展示室よりも暗く、アクリル板に刻まれた富弘さんの直筆、活字の詩、点字が触って感じることが出来ます。

 

 海のへやから休憩室に繋がっていて、そこから「風のへや」というところを抜けると美術館の面した湖が眼下に広がります。f:id:jyankshon:20150908100230j:plainf:id:jyankshon:20150908100224j:plain富弘さんの作品を観た後に感じる彼の感性を育んだ地の景色は、少し違ったように感じ、自然の美しく雄大な様が素直に伝わってきます。 

 

 星野富弘さんをご存知ない方(いらっしゃるか分かりませんが)のために、少しご紹介いたします。

1946年に群馬県勢多郡東村(現みどり市東町)に生まれ、器械体操や登山が趣味の体力のある方でした。群馬大学を卒業後、中学の教師になりますが、クラブ活動の指導中、脊髄を損傷。手足の自由を失いました。

作品の中にもいくつかありましたが、運動の大好きだった富弘さんにとって、その状況は耐え難いもので絶望の淵に突き落とされていたそうです。

辛い闘病生活を強いられていた日々の中、この深淵から彼を救い上げたのは、母の献身的な介護、キリスト教の信仰であり、1972年から口に筆をくわえて文字と絵を描くようになりました。

飾りのないありのままの言葉、素朴でどこにでもあるような草花の絵。その当たり前がどれほど美しく、ありがたいものなのか、彼の静謐な作品から感じることが出来、生きることの素晴らしさ、生きる勇気を与えてもらえるように感じました。

 

 美術館を出て、その余韻のまま散策路をバスの時間まで歩いてみることにしました。

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美術館の裏側。内装だけでなく、外装も部屋の雰囲気と合わせたマテリアルになっているようです。芸が細かい。

 

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後ろにあるのは空調の排気口かな?美しいデザインだった。

 

 歩いて行くと、豊かな自然にのんびり・・・とは女子2人にはならず、飛び交うトンボやバッタに絶叫しっぱなし。景色どころじゃねー。

ベンチも所々設置されていましたが、虫が怖すぎて座ってる場合じゃない。(自然と共存出来ないダメな人間になってしまった。。)

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唯一、きのこに癒される。

 

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レベルが低く抑えられた美術館は、自然に溶け込むように存在している。

 

 富弘さんのことは、小学校の頃に国語科の先生が授業で扱っていて知りました。授業で口で字を書く体験もしましたね。

その頃は、本当に失礼なことですが詩とかに興味がなくて「なに当たり前のこと書いてるの」くらいのことを考えていました。体験も真面目にやってなかったと思います。

先生はその「当たり前」がどんなに幸せなことか、自分たちが手足を自由に使えて走り回れることがどんなに恵まれたことなのか、子供たちに伝えたかったのだと今になると分かります。

が、そんなことを小学生の頃に感じられる子はどれくらいいるのでしょうか。。

先生も分かってくれないからこそ、しつこく恩着せがましく話してくるし、負の連鎖。教育って難しいですね。。(本当に聞き分けのない子で迷惑を掛けていたんだなー、と。でも、どうも好かんのです教師は。)

 

 自分たちの世代も、もう教える教師の立場になる年なんだと思うと感慨深いものがありますね。果たして、教えられる立場になっているのか。それ程の教養があるのか。

ウエィ系大学生の教職をとっている友達を見ているとそんな風に考えてしまいます。・・・いつにも増して脱線するブログ、最低だ。笑

 

 話を戻します。。

初めにテーマとしていた「丸で四角を囲む建築、四角で丸を囲む建築」、そのもたらす効果を短くですがまとめて終わりにしようと思います。

 

この美術館の印象は、内部の繋がり、空間の有機性を強く感じました。その代わり、外との関わりはバルコニーやガラスの窓からは感じますが、どうも自然と入り込んでくる感じは受けませんでした。

これは、金沢21世紀美術館とは真逆の感覚で、簡単に言い表すのは避けたいですが言うならば、「外を意識した金沢21世紀美術館、中を意識した富弘美術館」といったところです。

展示物の種類やサイズが違い予想も出来ない金沢21世紀美術館は、可変性があり、1つ1つの空間に個性を生むことが出来る配置を意識していていて、美術館のある場所が中心部であることから様々な目的を持つ人たちが集える場所としての機能も司ることも求められ、あのような設計になったのだろうと以前の記事で記載しました。

そう考えると、この美術館は展示物の条件や使われ方自体が真逆なのかもと思い立ち、妙に納得したような気持ちになりました。

 

訪れる人はこの美術館を目指して来る訳で、その自然は関われるような小さな自然だけでなく山や湖といった雄大な自然のため、眺望が望める場所を設けるという方法をとる。

展示物は特定の作家のため、各展示室を流れるように拝観出来、気持ちが入り込めるように囲われた空間を作り上げるという方法をとる。

機能のさせ方を考えると、この形態の意味が読み取れる気がして、今の自分には訪れてみて学びの多い建築でした。

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コンクリートからニョキニョキ生える雑草に勇気をもらいました。(どこかの歌手かよ。)