フジモリ建築巡り 後編
フジモリ建築巡りの続き。
今回はこの子たち、不思議な「茶室」たちの紹介です。
茶室というと、利休や織部、遠州といった茶人が作るもので、歴史的に茶室を作るのに建築家は必要とされていませんでした。
その伝統は今も続いていると示唆しており、藤森さんは「茶室をつくることは、ごく私的なことなんだと実感した。」とおっしゃっていて、そのため他人のための茶室を設計するには、まずは自分のための茶室を作らなくてはということで、「高過庵」を作りました。
こちらがその「高過庵」!
生の木を柱として用い、床下の長い建築となっています。名前のまんまですね。
茶室を支えるのは3本の柱、倒れないのか不安。
ちょっと足が震えそうな足場。。
特別なイベントなどがない限り、内部の一般公開は行われていないので中の様子を知れないのは残念ですが、この外観だけでも見る価値はあります。
茶室に登ると見える畑で、家族が畑仕事をしている光景を見るのが幸せだと著書に書かれていました。なんて理想的な部屋。
それと、外界から少し離れたところにあるので家族の団欒の場所とも違う、気の合う友達やお客さんをもてなす「野原の居間」として機能しているそうです。
中に入るとヤジロベイのように揺れて、さらに徐々に揺れが年々強くなっているとのこと。高所恐怖症の人は入れませんね、、。
茅野のまちが見下ろせる。
都市思想の中に、『眺望ー隠れ場理論』というものがあって、人間は基本的な本能の1つに「自らの身を隠し、眺望は確保しておきたい」というものがあります。
小高い場所に登り、眼下に広がる自分の世界をじっくりと眺めたいという感情、例えばスカイツリーの展望台にお金を払ってでも登り眺めた景色、その時に得られる感動は何にも変えられないものがあると思います。
この建築を見た時、この誰しもが本能的に求める外界から守られ、眺望を獲得できる空間が創造されているのだろうと想像しました。
続いては「空飛ぶ泥舟」。
本当に飛んでます。こんな建築、実存できるのですね・・・!
この茶室は、藤森さんの茶室の探求の集大成みたいなもの。空間の最小単位である茶室に必要なのは、身体尺のぎりぎりで作ること、それでいて建築的に豊かであること。そして火があれば、空間は成立するのです。
秋晴れの空によく合います。
誰しもが思うのは「この建築、大丈夫なの?」ってことですよね。(笑)
茶室を浮かせるために引き上げる方法を取っているのですが、これは吊り下げるのとは構造的に全然違います。
2点で吊り下げた場合、間に曲げモーメントがかかりましが、下部にロープを這わせるとロープの上にただ乗っているだけ。吊り橋と同じ原理で、強度としては全く心配はいらないのだそうです。
中に入るとハンモックみたいに揺れて、こちらは心地良いのだとか。
クジラを目指していたそうですが、どちらかというとフグ。
前の記事の「守矢史料館」と合わせたこれら3つの建築は同じ敷地内にあり、5分歩かない範囲に凝縮されています。フジモリ・テーマパーク。
道路から入ってくる通路にこんな松の木がありました。
大地の力を感じる。あんな建築を見てきた後だとより一層。。
タクシーを呼ぶ予定の時間まで30分くらいあったので、歩いて行ける「諏訪大社 上社本宮」に行ってみました。
ひとり神社仏閣巡りは難易度低くて好き。(笑)
長い廊下、とてもカッコよかった。
知識がないので、ふらふらしてきただけでしたが神聖な空気を吸ってきました。。
これにて終了です〜。タクシーに乗って茅野駅到着。
帰りの電車待ち、信玄餅クレープなるアイスを食べました!
元の信玄餅と違うのですが、単純に美味しいきな粉黒糖ソースの餅入りクレープって感じです。
とりあえず信玄餅大好きです。2個入りが売られてるのは1人暮らしには実にありがたい!
フジモリ建築の所在地やアクセスなど、あまりネットに掲載されていなくて行くのを渋っていたのですが、予定を詰め込まずゆっくり旅にしたら安心して行けました。
サクサク旅行をしたい方は、電車をしっかりと計画することをオススメします。
タクシーしか移動手段がないのは普段は困りますが、その分運転手さんがニーズを知っていて、優しく観光地の紹介をしてくれるので他に気になる場所などあったら質問してみると豆知識を教えてくれると思います!
長野にいるのに地元にいるような安心感がどこにいてもあって、不思議な感覚でした。。のびのびした旅行だったなぁと。
最後にお世話になったタクシーの運転手さんが車内の自己紹介文で「長野は海がなくて寂しいです」と書いていて。「でも山がとってもキレイですよねー!」って言っても、「どこみても山だし」とネガティブ、、!(笑)
ぜひ静岡に来てくださいねと地元を売っておきました。(笑)
最後に諏訪湖に寄って帰宅。豊かな自然に癒されたひとり旅でした。